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堤エステート/堤猛雄のブログです

大好きな人が旅立った。

10月9日に大好きな人が亡くなった。

母の故郷・島根に住む叔父で
【メガネのおっちゃん】と呼んでいた。
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私も親が商売で忙しかったので、小学校
4年位から中学まで夏休みの約1ヶ月間は
島根に行っていた。

おっちゃんの家には私が大好きな
お祖母ちゃんも居たので夏休みは
島根でお世話になった。

おっちゃんは、島根県代表として国体にも
選出された柔道6段の猛者でありながら、
温厚で優しく怒ったのを見たことが
ない人だった。

私は島根にいる間、地域に居た子供たちを
集め、朝から日が暮れるまで目いっぱい遊ぶ
ひと夏を過ごした。おっちゃんはとても
優しく可愛がってくれて地域のお祭りに
連れて行ってくれたり、おっちゃんが柔道で
取ったトロフィーやメダルを商品にした
遊びや柔道を教わったりした。

高校生になり成長した私は腕っぷしには
自信があったが腕相撲をしても勝ったことは
皆無。投げてやろうと思ってかかって
いっても、あっという間にぶん投げられた。

でも信じられないくらい優しい自慢の
おっちゃんだった。私の母親と母の姉である
伯母の3人兄弟の末っ子であるおっちゃん。
父親(私にとってはお爺ちゃん)が
おっちゃんの小さい頃に亡くなってしまった
ので、お祖母ちゃんは女手一つで3人の子供を
育てたため苦労したらしい。

母親と伯母は福岡へ嫁ぎ、おっちゃん夫婦は
島根で子供2人に恵まれお祖母ちゃんと
5人暮らしだった。夫婦で工場で働き、
30代半ばで重機の機械工場を立ち上げ成功。
晩年は夫婦でカフェと大好きなカラオケ店を
楽しみながらやっていた。
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おっちゃんとは旅行もたくさんした。
私の父親が亡くなった翌年には母親と
初めての海外旅行でハワイへ。
その翌年には東京旅行もした。
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妹の子供である甥っ子をとてもかわいがり
甥っ子もおっちゃんが博多に来ると
ひっついて離れなかった。
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おっちゃんが島根に帰るため空港まで
送って行くと、甥っ子はいつも泣き
出していた。その都度おっちゃんは
『また来るから』と言っていた。
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そんなおっちゃんが数年前から肺がんになり
福岡の九州大学病院をはじめ、
がんセンター、免疫療法など私が知る限りの
治療に来てもらった。しかし今年に入り
病状が悪化していった。

今年の2月には思い切って福岡に呼んで
新しい事務所や自宅に案内した。そして
熊本の温泉に母親と大学生の頃おっちゃんの
家に下宿していた私の従兄を連れて4人で
楽しんだ。来る前はあまり食欲がないと
聞いていたが、その時のおっちゃんは
食事もすすみ遅くまで昔話で賑わった。

そして夏前に、再度おっちゃんが
また博多に来たいと言ってきた。
だが数日後、病状が更に悪化して
福岡に来れなくなった。

それを聞いて私は無性に会いたくなり、
直ぐ出雲空港へのチケットを取り
おっちゃんのところに向かった。

おっちゃんを見て愕然とした。
やせ細り介助なしではほぼ歩けない状況で
歓待はしてくれたが、あまりの変わり様に
一瞬言葉がでなかった。しかし出来る限り
いつものように平静を装い普段通り接した。

おっちゃんの家族が寝た後もおっちゃんと
いろんな話をした。

おっちゃんの若かった頃の話や思い出話、
おっちゃん家族の話、気が付いたら深夜
12時を過ぎていたが濃密な時間を過ごせた。

励まそうと筋骨隆々だったおっちゃんの
手を触ると、今にも折れそうに細くなった
腕に泣きそうになった。しかし悟られ
ないように手足をさすり続けた。

翌朝、おっちゃんの病院に同行した後
昼食を食べに車を借りて2人で出掛けた。
「おっちゃん何が食べたい?」と聞くと
宍道湖近くにおっちゃん行きつけの店に
行きたいとのこと。

そこでおっちゃんの好きな料理を注文したが
残念ながら一口食べただけで箸を置き
食べろと言うので、「ありがとう」と笑顔で
答え私は2食分を食した。

帰りの車の中で好きなパチンコに誘ったら、
嬉しそうに頷いたので、昔一緒に行った
自宅近くのパチンコ屋に向かったが生憎の
定休日。「他へ行こいうか?」と言うと
「もういいよ」。疲れたと思い断念した。

自宅に帰る途中にあるちょっとお洒落な
酒屋を見つけたので寄ってみた。
痛みで寝れないと訴えていたので、
下戸なおっちゃんだが、車におっちゃんを
残し酒屋に行った。

その酒屋には珍しい酒があり、
事情を説明するとコーヒー味のワインを
勧められた。コーヒーはおっちゃんの
好物なのでそれを購入。もうひとつ甘い
デザートワインを購入しておっちゃんに
「痛みが出たら飲んで」と言うと
うれしそうにしてくれた。

1泊しか居れなかったが、楽しくもあり
胸が締め付けられるような気持ちで
帰路に就いた。

そして10月9日、おっちゃんの息子である
従弟から電話が鳴り、
おっちゃんが今旅立ったとの
連絡があった。強面の従弟は泣いていた。

いろいろ問題を起こしおっちゃんに苦労を
かけた従弟だったが元々は優しい奴だ。
おっちゃんが弱ってきた数年前から同居を
して、おっちゃんを気遣ってきた。

おっちゃんと遅くまで2人で話した時に
従弟のことも「心配がなくなった。」と
話していた。それを聞いて荒れた時期に
何度も島根に出向いて行った
私は本当に安心した。
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お通夜は12日、葬儀は13日、母親、妹、
そして大好きな甥っ子など総勢6人を
連れて島根に向かった。

お通夜と葬儀には、驚く程の多くの方が
来られ皆さん涙を流された。おっちゃんが
いかに人に愛されたか実感し誇りに思った。

享年76歳、
メガネのおっちゃんは天に召された。
おっちゃん今まで本当にありがとう。


by takeo_tsutsumi | 2019-10-17 20:19 | 日記 | Comments(0)

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